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葛飾北斎についてのあれやこれ
お世話になっております。名古屋本社のS.Sです。
前回はあま市、今回は安城市から筆を執っております。
果たして次にご挨拶させていただく際には、私はどこからお便りを書いているのでしょうか。

今回は「引っ越し」に引っ掛けたお話しをさせていただければと思います。
「葛飾北斎」という人名は誰もが聞いたことがあるかと思います。
少し蘊蓄を披露いたしますと、かの浮世絵師は武蔵野国、葛飾郡。現在の墨田区に生を受け、その生涯で
3万点にも及ぶ作品を発表しました。
葛飾派の祖として300人以上の弟子をとり、歌川広重や遠くオランダのフィンセント・ファン・ゴッホまでも
影響を与えたとされています。

そんな彼の逸話の一つに、「引っ越しすること93回」という逸話がございます。
理由は何とも信じがたいことですが、ざっくり言えば「家の片づけができないから」
当時の北斎は、同じく浮世絵師の葛飾応為(娘)と生活を共にしており、二人そろって
「家事ダメ・炊事ダメ・掃除ダメ」の親子であったそうです。
そんな二人なので、「家にゴミがたまったら次の家へ」を繰り返すうちに、自身の年齢を超える転居回数になったとのことです。

何とも豪放磊落な逸話ではありますが、果たして本当なのかなと訝しむ自分がいます。
私見ではありますが北斎の最も優れた点として、鋭い観察眼が挙げられます。

有名な『神奈川沖浪裏』にみられる、豪快かつ繊細な波の描写は、スローモーションカメラもない江戸時代において
余人の目にどのように映っていたのでしょうか。
まるで静止画を写したかのような波のうねりは、常人ならざる観察力によってこそ描き起こされたものでしょう。

その他にも北斎は各地の漁を題材とした錦絵や、『諸国滝廻り』といった水の表情をテーマとした作品を多く残しています。
当時の絵の題材として、「流体」の刹那の表情を切り取ることは困難極まりないことだったでしょう。
並の観察力では不可能なことであったと思います。

そこで私は、葛飾北斎の「引っ越し」は自身の観察眼を磨くための旅だったのではないかと思うのです。
様々な土地へ出向き、人の違いを肌で、目で感じた上で自身の感性と観る眼を磨く。
確かに伝記に目を通した限り、ずぼらな面も多分にあったかと思いますが、私には「どうにも片付かなくってね」
と恥ずかしがりながら誤魔化す、江戸っ子の言い訳のように聞こえて仕方ないのです。


私も様々な土地へ出向き、その地に住まう人々の生の生活に触れ、暮らしの特徴やニーズを感じ取れる
感性を身に着ける修行の最中です。

『諸国滝廻り』もとい、私自身の『諸国物件廻り』を作りながら成長していけたらと思います。
今後ともよろしくお願い致します。

| カテゴリ : 営業 S.S |  |

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